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価格:6900 円(税込)
発送可能時期:在庫あり |
| ご覧いただきましてありがとうございます。茅ヶ崎さくらアンティークスでございます。一度だけの人生です。頑張っている自分にちょっと贅沢な贈り物。長い年月を旅したアンティークがあなたをお待ちしております。アンティークストアやコレクターのご自宅、アンティーク市などを隅から隅までを周り探し回ります。食器や雑貨、家具が雑然と並ぶ中、光が差しているかのように輝くお品物があります。その瞬間は心臓の鼓動も早くなります。一期一会の出会いに感謝してご紹介いたして参ります。アンティーク&ヴィンテージの買い付けには以外と時間がかかります。例えば、現地から日本への航空便での発送や税関での通関手続きなど無事に手にするまで弊店が責任を持って行っております。・茅ヶ崎の店舗でもお品物をご覧いただけます。茅ヶ崎さくらアンティークス・店長からのお薦めポイントでございます。弊店は、美術品商 神奈川県公安委員会より、第452670002655号の許可を受けております。花の女神フローラの町として"FLORENTIA"と名付けられたことが由来となった"FIRENZE"と名付けられたお品物が到着いたしました。アメリカ・シカゴのアンティークストアから届きました1953年(昭和28年)ごろにアメリカ輸出用として作られましたのカップ&ソーサー&ケーキプレートセット(トリオ)の"FIRENZE/フィレンツェ"をご紹介いたします。"FIRENZE/フィレンツェ"の歴史は、古代ローマ時代にカエサルが退役軍人へ土地の貸与が行われ、ローマの植民都市が建設されたことが起源です。12世紀には、自治都市となりルネサンス期にはフィレンツェ共和国の首都となり経済的な繁栄を極めます。またその財力を背景に、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェル、ラファエロなどの芸術家を保護し、ルネサンス文化の中心地にもなりました。18世紀には、メディチ家による支配が終わりハプスブルク家の支配下に置かれます。その後は、1861年に独立したイタリア王国に併合され、ローマに首都が移される1871年まで王国の首都として影響力を発揮しました。並べておくだけでも白磁に映えるお花柄が素敵なお品物でございます。白色磁器の余白を生かして、ピンク色・青色・黄色でプリントされたお花柄が自然の風景の中に溶け込んでいるように配されています。ルネサンス文化の中心地として栄えた都市"フィレンツェ/FIRENZE"を冠した上品な雰囲気のお品物でございます。カップの底には、高さ約8mmの高台が付いていますので、ソーサーにカップをセットした際にお花柄が際立ちます。裏印は、NORITAKE CHINA/日本陶器の頭文字をとり月桂樹にNマークです。パターンNoは6674番で、アメリカ国内で意匠登録されたUS.DESIGN PAT.PEND.のマークもプリントされています。アメリカ輸出用ですので、日本国内では販売されていないお品物でございます。○カップ&ソーサー・ケーキプレート(トリオ)1客のお値段です。○大きさ・カップ口径約9.8cm 高さ約5.6cm・ソーサー 直径約14.3cm 高さ約2.2cm・ケーキプレート 直径約16cmです。 ○裏印NORITAKE CHINA N JAPAN 6674 FIRENZE U.S DESING PAT PEND./1953年頃に作られたお品物で、アメリカ輸出用のお品物です。○コンディション約50年前のお品物のため、経年変化によります縁取りの金彩に若干の薄れがございます。プリント部分は綺麗に残っています。全体的には使用感のない綺麗なコンディションのお品物でございます。○アンティークのお品物のため経年変化による商品説明にはない、若干の細かい傷等ある場合がございます。○PC環境等によりまして、画像と実物のお色が若干異なる場合がございます。○ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。 楽天国際配送対象商品(海外配送は、別途送料が必要です。/Additional shipping cost is required for international buyer.)詳細はこちらです。 Rakuten International Shipping ItemDetails click here明治期の日本では、黎明期であった陶磁器の輸出を生業にしていた森村組(明治37年・日本陶器合名会社/昭和56年にノリタケに改名)が明治9年に設立されます。明治37年ごろの創業当時は、生産性も低く経営の厳しい時代が続きました。そのため、海外への輸出に加えて国内販売にも着手し始めました。同じ頃に美術部門が新設された三越や明治屋と契約を結び、明治43年には宮内省にも食器を納入しています。翌年には、帝国ホテルのカップ&ソーサーや灰皿などを納入しています。明治22年、創業者の森村一左衛門は、視察に訪れたパリ万国博覧会で自社の灰色がかった生地とヨーロッパ製食器の生地の白さや製造技術に大きな差に危機感を感じていました。当時の製品は、絵付け工場が集積していた瀬戸産の原料(杯土)を使用していました。しかし、灰色がかった瀬戸産の原料は洋風食器の製造には適していなかったため、白色の磁器を製造するために苦労を重ねていました。明治35年、森村組の名古屋支店に陶器を買いに来た2人のイギリス人・ローゼンフェルド兄弟との出会いが、純白生地の製造へと導きます。彼の父親は、オーストリアで陶磁器工場を経営しており、大倉孫兵衛と大倉和親親子を派遣します。その後、ベルリンのドイツ国立陶土工業化学研究所を訪ねたり、チューリンゲンで最新式の機械を購入し、工場設計の手配も終えて明治36年に帰国します。明治37年(1904年)1月1日、名古屋市郊外の鷹羽村則武を本社・工場とする「日本陶器合名会社」が設立されました。石炭による洋式磁器焼成窯第1号に火が入ったのは、同年11月でした。
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